最近、名作と言われる映画作品を立て続けに観ておりまして、感じることがありましたので書こうと思います。
自分にはまだまだ感動を味わえる領域が残されている。 死ぬまでネタに困ることがない、ということです。
映画に限ったところで、観ていない作品が山ほどある。 映画評論家の故・淀川長治さんレベルになれば、「もう観る映画がなくなった。」といった悩みに直面することもあるかもしれませんが、僕にはまだまだ観ていない作品があります。
書籍についても同じことが言えます。 釣りに関する本を出版されていた作家の開高健さんは、地球上のすべての本を読破したのではないかと言われるくらいの読書家でした。
それに比べますと僕の読書量なんてほぼ0に等しいようなものです。 恥ずかしいと思う反面、この分野でも読むのに一生困らないくらいの量の本が僕には与えられていると考えると、僕はラッキーな立場にいるのかもしれませんね。
水滸伝なんかも読んでみたいと思っていますし、黒田官兵衛の名軍師ぶりなんかも本を通じて知ってみたいと思っています。
とにかく僕には、こういう普通の人ならば高校生くらいには読んでいるべき本の知識が欠如している部分が大きくあるので、読書家の人から見れば僕は「鍛えがいのある人」でしょうね。
今、僕は単に例として映画と書籍という二分野を挙げましたが、他の僕の好きな分野、音楽、ゲーム、旅行についても全く同じ状況にあります。
しかし実際は、無為に時間を過ごしてしまっています。 街へ出ればパチンコに興じ、お金と時間を浪費する。 家ではYouTubeなんかをダラダラと見続ける。 缶コーヒーを飲み、スナック菓子をほおばりながら・・・。
「これではいけない。」、「少年老いやすく、学成り難し。」という考えが頭をめぐりますが、悲しいことに何をすることもなく毎日が過ぎていく。
結局、本人のやる気でしかないんですよね。 これらのことは別に大金を必要としませんから。
世界中を観て回ることも夢見ていましたが、現実ではまだ韓国しか行ったことはありません。 子供の頃は、スペインで闘牛を見たり、イタリアでゴンドラに乗ったりなんていろんなことを考えていたのに。
「思いついたら即実行」のなんと難しいことか。 ほとんどの人が「思いついたけどいつかやる」だから、今の社会はこの体たらくなのでしょう。
今、僕は脳卒中という病気の影響で車の運転が制限されている状況であるため、あまり外出できないのが現実です。
退院して間もなくは暇を持て余していましたが、ふと好きな映画を観始めたら、止まらなくなりました。
映画って自分なりのこだわりやテーマを持って、観始めると実に奥深いんですよね。 誇張でなく本当に研究したくなるレベル。
「映画評論家」っていうのがいるくらいですから当然なんでしょうけど。 しかも僕がラッキーなのは、知らない作品の数が無尽蔵にあること。
まあ今から20年ほど見続ければ、有名どころくらいはカバーできるかもしれませんね。 その時点で僕は67歳。
それが終わったら、今度は世界中を見て回りましょうか。 多分、年齢的にもここら辺の挑戦が限界ではないでしょうか。
とにかく、この大きな地球の中の僕という小さな存在は、この世の中の0.01%のことも知らない知識的にもちっぽけな存在に過ぎません。
それを自己満足ではありますが、せめて0.01%を0.02%くらいにしてからこの世を去ってやるつもりです。(笑)