僕が初めてプレイしたテレビゲームは任天堂の「テレビゲーム15」というものでした。
1台で15種類ものゲームができるという謳い文句で売り出されたものですが、2人プレイを基本とし、所定ポイントを相手より先に決めた方が勝ちというテニスやホッケーのルールを踏襲した単純なものでした。
ラケットも太い棒、玉も四角いブロック状の玉というグラフィックデザインでしたが、当時は単純にゲーム性そのものを楽しんでいたために、僕たち子供達だけにとどまらず、親世代も結構熱くなっていました。
これは多分に、人間対人間だからという要素が大きく働いたと思います。 将棋もトランプもつまるところ、人間が相手の遊びであって勝負です。
対人間ゆえ戦略のパターン化ができない。 だから上達に限界がありませんし、ゆえに決して飽きられないのだと思います。
その後、カセットビジョンというゲーム機がエポック社から出ました。 カセットを交換することで様々なゲームができるという画期的なものでしたが、この頃から「ゲームは一人でプレイする。」というスタイルへ変化していきました。
その後少しの停滞期を経て、社会現象にまでなった「ファミリーコンピュータ」の出現です。 これは後の「スーパーファミコン」のブレイクと一つの点で共通している所があります。
それは「アーケードゲーム・クォリティの家庭用ゲーム機での実現」です。
ファミコンにおいては「ドンキーコング」や「ポパイ」、「マリオブラザーズ」、スーパーファミコンにおいては「ストリートファイターII」がほぼゲーセンと同じクォリティでプレイできるということが、当時の子供達にとって大きな衝撃でした。
次にいわゆる「次世代機」と言われる時代に入ります。 プレイステーションやセガサターンなどが代表的なハードですが、ソフト媒体もそれまでのカートリッジ式からCDへとシフトしたことにより大容量化が可能になりました。
このことでストーリーや演出に凝ったゲーム製作が可能になり、それまで重要視されていた「アーケードゲームのリアルな移植」にあまり価値が見出されなくなりました。
この現象はPlaystation2、Xbox、Dreamcast等ハードのスペックが上がり、ソフト媒体もCDからDVDへと変わることでますます顕著になります。
つまり「UFOキャッチャー」や「プリクラ」のような一般家庭に設置が困難な筐体はゲーセンが受け持ち、スクリーンとコントール部があればプレイできるいわゆるテレビゲームは家庭でする、という役割分担が生まれたのです。
今、最新のハードと言えばPlaystation4であり、Nintendo Switch、X Box Oneといったところでしょうか。 ソフト媒体もBlu-ray等更に大容量化されただけにとどまらず、インターネットによるダウンロード購入に移りつつあります。
ハード面においてもソニーがPlaystation VRを販売するなど、これからゲーム業界がどういう発展を遂げるのか全く読めません。
ただグラフィック面、サウンド面が強化されたことにより、ますます現実世界との垣根がなくなっていっています。 VRの登場もこの傾向に拍車をかけているのは間違いありません。
ではこれからゲームはどのような方向へ向かっていくのでしょうか。
グラフィック、サウンド面の強化、VRの登場という現象を見ているとゲームの供給者の方にも需要者の方にも「更なる自由度獲得への渇望」があるような気がしてなりません。
現在は残念ながらプレイヤーのとれる行動の自由というのは、あくまでも製作者の作ったルールの中だけでの自由に過ぎません。
要はコマンド入力式RPGであれば選択肢以外の行動はとれないわけです。
ファミコン時代はまだそれでもあのグラフィックとサウンドでしたから、プレイヤーもこれはゲームだと割り切れました。
しかし今のハードの性能はほとんどリアルな世界を描出できてしまいます。 なのにたった2cmくらいの高さの段差がジャンプで越えられないと、プレイヤーの不満が高まるのは無理もないでしょう。
テレビゲームもプログラムである以上、自由度100%は不可能だと思われます。 しかしこれを100%に近づけていくことがこれからの方向性になっていくでしょう。