僕は大学時代、3年ほどアルバイトで塾講師をしていた経験がありました。 中学生に5教科というのが僕の担当でした。
学生時代、僕はアルバイトを3、4種類ほど経験しましたが、その中でもこの仕事を最も長期間やりました。
生徒に勉強を教えて報酬を得るという仕事なのですが、いま振り返ってみると実は僕自身も生徒から実に多くのものを得ていたんだなあとつくづく実感するのです。
僕がバイトで教えていた塾は学校の教室のように先生一人対生徒多数のような形式ではなくて、先生一人が基本数人の生徒に問題を解かせ、生徒が理解できない箇所があって聞いてきたら教えるいわゆる「個別指導」タイプというものでした。
どんなバイトでもやり始めは不安なものです。 特に塾ですと対人間ですから、やはり最初はテレがあります。 仕事とはいえ初対面の子供たちと仲良くなっていかないといけないわけですから。
僕も最初のうちはおっかなびっくりでした。 黙って問題を解かせている時間がとにかく一秒でも続かないかとそればかり気にして、生徒から質問があるたびにびくっとしては「さあ、うまく教えられるだろうか?」と内心ヒヤヒヤ状態がしばらく続いたものです。
しかし生徒たちと打ち解けていくにつれ、だんだんと教え方のコツもつかんでいきました。 しかも2年目に入ればまた同じことを教えるわけですから、さらに余裕度は増していきます。
僕の教室は生徒が40人くらいいた記憶がありますが、教える技術が上がったおかげで時給も上がり、それなりに充実したバイトになりつつありました。
そんな時、事件が起きたんです。(笑) 事件と言っても深刻なものではなく、僕自身の心に変化をもたらす事件です。
確か「連立方程式」を教えていた時でした。 もちろん僕は連立方程式は解けますし、代入や移項だってテクニック的にいくらでも駆使できます。
しかしその時教えていた生徒がいまいち解き方を理解してくれませんでした。 代入や移項をいくら説明しても、いまいち納得いかない様子。
僕はもう内心、匙を投げかけていました。 その時その生徒が、「だって連立方程式って意味分かんないもん。 x=1、y=3てどういう意味?」って訊いてきたんです。
僕ははっと言葉に窮しました。 僕は中学生から機械的に連立方程式を解いてはきましたが、連立方程式の意味について深く考えたことなんてありませんでした。
なんて説明すればいいんだろう。 いつもならバイト後はパチンコに興じてご飯食べて帰るのですが、この日ばかりは僕は軽く打ちのめされました。
これまでは意味も分からず解いていた。 「連立方程式を解く」ということはどうすることなのか。 僕はいくつかの問題と答えを見比べているうちにだんだんと分かってきました。
そしてようやく自分の中で一つの大きな疑問が解決した幸せを感じたのです。
いよいよその時はやってきました。 前回、上手く教えられなかった生徒に僕は言いました。
「x+y=3」。 よく見る連立方程式の片割れです。 「これってどういう意味なのかわかるかな?」 生徒は黙っています。
「xとyを足すと3になるって意味だよね?」 生徒「それくらいわかる。」 「足すと3になる数ってどういうのがあるだろう? 適当でいいから3つくらい書いてみて。」と言って書かせました。1+2、0+3、0.1+2.9・・・。
「そしたら今度は2x+5y=9。 ちょっと難しいけどこれに当てはまる数を2個でいいから考えてみて。マイナスを使ってもいいから。」と言いました。
これは少し難しかったようで悪戦苦闘していましたが、なんとかx=-3,y=3とx=-8,y=5という2個の答えを出してくれました。
「そしたらこの2つの式の条件を両方とも満たす数字ってあると思う?」と聞きました。
生徒は「ええ!それ見つけるのって大変じゃない?」って訊き返してきましたが、ここで僕はいつも通りの機械的な代入法で生徒に方程式を解かせました。
瞬く間に僕と生徒はx=2,y=1という答えを導き出しました。 試しに両方の式に当てはめてみるとちゃんと条件に合致します。
「これが連立方程式の意味。 それぞれの式だけだとxとyの組み合わせは無限にあるんだけど、両方の式の組み合わせを同時に満たす数字は1パターンだけしかない。 それを見つける遊びかな。」
物事の本質を見極めるなんてよく耳にしますが、僕はこの経験がきっかけになって他の疑問にもぶつかっていくようになりました。
確かに時給も良くお金も稼げたのですが、それだけではなく自分がしていることの意味を理解してから行動することの大切さを、僕はこの頃に身に付けたんだと思います。