いやあ、とにかく物凄い地震でした。 僕はまさに爆心地が居住地でしたので、衝撃が凄まじかったのですが、揺れが収まった後「そういえば地震速報って入ったっけ?」と思い当たり、スマートフォンを開きました。
すると確かに緊急のエリアメールが入っていました。 恐らく揺れの衝撃があまりにも大きくてアラームに気付かなかったのか、寝ぼけていたからなのか、いや多分速報と地震の時間差がなかったからなのでしょう。
地震中はとにかく暗闇の中、落下音やら衝撃音の連続でしたので、「こりゃ相当な被害かな?」と覚悟を決めていたのですが、揺れが収まって電気も回復し家の中を確認すると、ものが倒れているだけで割れたり、破損したものはありませんでした。
「やれやれ。割れたのは俺のハートだけだったか・・・。(笑)」と気持ちに余裕が出てきた矢先、ハートを割るどころか打ち砕くほどの出来事が起ころうとは誰が予想したでしょうか?
そうです、長い長い、そして広い広い停電です。 最初はこの停電は地域的に起こり、復旧もすぐだと高を括っていたのですが、スマートフォンでラジオを聴いているうちに(便利な世の中になりました)、停電は発電所のトラブルが原因で全道的であり、復旧には一日以上はかかるとのこと。
時間の経過とともに、今回の地震がいつもと違うものであるらしいことが、平和ボケした僕にも分かり始めてきました。
まずは職場へ行ってみますが、皆することがない状態。 そりゃそうです。 電話もファックスもパソコンも照明も皆、電気で動作しているのですから。
とりあえずその日はどうしようもないことを悟ったので、休みとし、後日の休日を出勤日とすることで上司と合意。 しかし帰宅したところで、普段していることが何もできません。 パチンコ、インターネット、ゲーム・・・。
電気の偉大さを改めて思い知り、また電気のない大昔の人たちの暮らしに思いをはせ、僕は急にゆっくりとなった時間の流れに身を任せました。
いかに「電気を使う」ということが、呼吸のように無意識に、当然になっていることか。 パソコンや炊飯器とかなら、まだとっさに「ああ、あいつらは使えないな。」と思い浮かぶかも知れません。
しかし固定電話や、インターホン、街灯に信号機、これらも全部動力は電気なのです。 徐々に暗くなっていく室内にも為す術はありません。 手にしているスマートフォンが数時間の抵抗をするだけでしょう。
食べ物は、生ものは先に食べきってしまいました。 一人暮らしのため生もののストックがあまりなかったのと、個人的にパスタなどの乾物が好みだったのが幸いしました。
真っ暗な部屋の中では、もう寝ることしかすることがありません。 夢を見ることがこれほど待ち遠しかったことが、今まであったでしょうか?(笑)
被害の大きさは中々のレベルでしたが、地震の翌日にはすでに復旧への兆しは見え始めていました。
このブログを書いている現在、ライフラインは少なくとも僕の居住区では全て復旧しています。
しかし、今回の地震で自分自身に物理的な被害はそれほどありませんでしたが、内面的に少し変化があった気がします。
それは、阪神淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などの被害者の方の気持ちが多少なりとも理解できたかもしれないこと。 自分はたった一日の停電ごときでピーピー音を上げていたのに、あの人たちはそれプラス大津波や大火災、原発事故を経験しながら気丈にふるまっておられる。
テレビのインタビューで老齢の被災者が「神様の意思なら仕方ない。」みたいなことを言っていたのを思い出して、とても自分はここまで悟りきれないなあ、と思います。
とにかく日本は地震大国ですし、僕が生きてきた数十年だけでもこれほどの回数起きているのですから、残念なことですがこれからも繰り返されていくことは間違いないはずです。
その時に苦しい思いをしないためには、やはり「喉元を過ぎた熱さを忘れない」ことしかないのではないでしょうか。