意味が分かると途端に評価が一変するものがあります。 そしてその原因は往々にして自分自身の無知であることがよくあるのです。
「2001年宇宙の旅」というスタンリー・キューブリックの名作映画があります。 僕がこの作品を最初に観たのは高校時代、キューブリックと言えば本作か「シャイニング」かというくらい有名なので、当時胸をときめかせながらVHSの再生ボタンを押した記憶があります。
しかし観終えた後、というかすでに中盤辺りから「???」となってしまい、つい最近まで僕にとってこの作品はクソ映画という不変の位置付けでした。
それがこの間たまたまYouTubeでこの作品について詳しく解説している動画を見る機会があり、そこで初めてこの映画の意味を知ったのです。
まさに「知識は決して人に奪われることのない財産である」ということを実感した瞬間でした。 アラビア語を読めない僕にとって、あの文字は単なる模様でしかありません。 また簿記を習ってない人にとっても貸借対照表の数字は何の意味もないことでしょう。
しかしこれらはいずれも知識を持つ人にとっては貴重な情報源なのです。 知識が世界を広げる、というのはなにげにこれくらい凄まじいことなのです。
少々話がそれましたが、僕は「この作品の意味」という知識を得ることによって、それまでの本作品に対するクソ映画という評価を180度変えざるを得なくなりました。
それどころか1968年という時代によくこんなことを着想したもんだ、と驚嘆すらしてしまいます。
ストーリーはだいたいこんな感じ。 解説動画の受け売りで原作の小説を読んでいるわけでもないので、細部が間違っているかもしれません。
400万年前、ある地球外生命体が地球と月と木星に3個の「モノリス」という黒い板状の物体を設置します。 エヴァンゲリオンにも登場するあれですね。
目的は地球外生命体が新しい移住先を探していたか、別の生命体とのコンタクトを図ろうとしていたのかもしれない。
「モノリス」は1の1乗、2の2乗、3の3乗の大きさであり、これはモノリスが自然にできたものではなく、完全な人工物であるということを表している。
3個のモノリスは役割が全て違っており、地球のそれは触れた者に知恵を授ける機能を持っている。 映画の序盤でこれに触れたサルは道具を使うことを覚え、同族同士で殺し合いを始める。 どうもこれはキラーエイプ理論というのを表現しているらしく、同族で殺しあうのは人間のような高等生物特有の行動である、ということを言いたかったようです。
時は移り2001年。 サルが知恵を得てから400万年、人間はついに宇宙船を開発するまでになりました。 月からの電磁波をキャッチしていた人間は今、月に向かっています。 実はこのことも400万年前に地球外生命体が予知していて、月にモノリスを置いたのです。 「宇宙船を作るまでになった人間は必ず、地球に一番近い月を目指そうとするだろう」と。
そして月に着いた宇宙飛行士たちはついに電磁波の発信源であるとみられる月のモノリスに対面します。 400万年前、地球でサルが初めてモノリスに触ったように、彼らも月のモノリスに触れてしまいます。
しかし月のモノリスは人間に更なる知恵を授けるわけではありませんでした。 それは木星方面へ向けて、強烈な音波を発し始めたのです。
400万年前、地球のモノリスによって初めて知恵を与えられたサルが地球外生命体の思惑通りついに月まで到達した。 今、眼前の月のモノリスは触れることによって木星に強烈な音波を発し始めた。
ここでもまた、人間は未知の地球外生命体の術中にはまり、こう考えてしまいます。 「木星にはきっと何かがある。」
紆余曲折があるもののの、結局一名のクルーが最後のモノリスに到達します。 最後のモノリスには中に入ることができました。 このクルーが中に入ることによって、この最後のモノリスが直ちに機能し始めました。
それは入ってきた生命体の知的能力を瞬時に分析し、またこの生命体に対し、太陽系の謎を教えるというものでした。
その結果モノリスは非常な残酷な決定を人類に対してします。 つまり、「残念だがあなたがたの知能は全然我々には及んでいない。 まだまだこれからだ。 あなたは赤子に戻って人類が成長するのを地球のそばで見守りなさい。」
そうして赤子に戻したクルーを地球のそばに置く。
こういった内容であったことをつい最近知ったわけです。 まさに目からウロコ! 知って観るのと知らずに観るのでは全然評価が変わってしまいます。 あまりに感動したため色々調べたところ、どうも監督自身映画と原作両方でようやく意味が理解できるように撮っているらしいです。
しかもリリースは映画が先! つまり意味不明(笑)な映像を最初に見せておき、知的好奇心にそそられた者のみに後日真実を教える。 表面上の娯楽を追っている者は冷たくあしらう。 僕はキューブリックと面識はありませんが、なんか彼の人間像に合っているような気がします。
また今回のことで改めて知識の偉大さを認識しました。 これだけ偉大でありながら、決して盗まれることがないのですから。 乾杯!