ヒゲおやじ

ある男の後半生(こう反省)

闘病記

風邪に対するスタンス

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つい先日、風邪をひいてしまいました。 子供の頃、学生の頃なんかは完全放置で自然治癒、しかも小学中学時代なんて「休む口実ゲット!」なんて、まるでクジにでも当たったかのようにはしゃいでいたものです。

そんな「元子供」も最早50代。 風邪に対するリアクションも子供時代に有ったポジティブ的な要素はなくなりました。

まず、無条件に完全放置ということができなくなります。 僕の場合、40代で脳疾患、心疾患という病気を経験しているために、まず風邪のような症状が出ると、一見風邪に見えるが実はこれって・・・、とより深刻な病気を疑うのがひとつ。

そしてよしんば風邪であったとしても、自身の病歴やら年齢やらを考慮するとき、無事に回復できるかという「多少」の懸念。 多少、というのはなんだかんだ自分はまだ50代であり、基本的には治癒を信じてはいるが、それでも頭痛が激しく咳も止まらず下痢でトイレにこもり切り、というときには「自分はこのままくたばってしまうんじゃないか。」と思えることがあるからです。

それでも自分自身のことのみであれば、今のところ深刻な問題はさほどありません。 ただ僕には高齢の母親がおり、むしろそちらの方を心配しています。

80歳近い高齢であるために、風邪をひいたときの生命リスクがものすごく高いので、病院からの突然の電話には緊張が走ります。 特に僕の母親は週に3回人工透析を受けていて、通常であれば病院の往復の送迎も介護センターの方にやっていただいているのですが、乗合自動車という性質上、例えばコロナに感染すると完治するまでは家族が単独で送迎しなくてはいけません。

幸い自分の働く会社は状況を理解してくれており、母親の緊急事態の際は柔軟に対応してもらってます。

父親に関しては数年前にすでに鬼籍に入っていますが、亡くなったとき、薄情に思われるかもしれませんがあまり悲しいという感情がわきませんでした。 別に虐待されたとか全然なかったんですけどね。

でも母親に関しては、もし亡くなったらたぶん号泣してしまうんだろうなという予感があります。 元気な今でさえ買い物や、いろいろな雑用での送迎は僕が主に行っていますが、すっかり小さくなって杖を突いてノロノロ歩く母親の後ろ姿を見てるだけでも切ない気持ちになるくらいですから。

結局のところ、今では自分自身にしろ母親にしろ、風邪という事態が身体の用心を励起するイベントになってしまっているということです。 もしかなうのならば、風邪をひいても「そのくらいの怪我、ツバつけときゃ治る。」くらいのあの感覚をもう一度経験したいですね。

-闘病記

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