僕が一番初めに観た黒澤映画は「七人の侍」です。 ここから彼の作品に入った人は非常に多いのではないでしょうか。
この作品は非常に長いのですが、観ているうちにみるみる内容に引き込まれ、時間を忘れてしまいます。
黒澤監督は「映画は時間の芸術だ」とおっしゃっていましたが、この作品はまさにそれを証明している好例でしょう。
もともとこの作品の着想は、歴史上の剣豪、つまり宮本武蔵や千葉周作が一堂に会したらどういうドラマが生まれるか、というところから始まったらしいのですが、登場する七人の侍たちの個性の強さはそこからきているんでしょうね。
話によると志村喬さん扮する「勘兵衛」はアメリカ人に人気が高く、宮口精二さん扮する「久蔵」はヨーロッパ人に高評価らしいのですが、これはリーダーシップを重んじるアメリカ、騎士道を大事にするヨーロッパ人の違い、とでも言ったところでしょうか。
またこの作品は、製作費が非常にかさんだ映画であることも知られています。 黒澤監督はとにかく完全主義で有名な方です。
衣装やセットの見えない部分にも本物の素材を使ったり、カメラ映りの関係上、自分の気に入った天候になるまで俳優たちをひたすら待たせるといったことを平気でやる人らしく、そりゃあこんな人が映画撮ったらお金がかかるのは無理もありません。
「七人の侍」も例にもれず制作中に予算が底をつき、東宝上層部の人がとりあえず完成したところまで見せてほしいと監督に言ったそうです。
上層部の人たちはみるみる映画に引き込まれていきましたが、さあこれからという時に画面が真っ白になりました。
「続きは?」詰め寄る上層部。 それに対し黒澤監督は「お金がないのでここまでしか撮れていません。」と答えたそうです。
「ぜひ続きが観たい。」ということで、上層部の人たちの満場一致で製作費の追加が決定したそうです。 実際にこの作品を観てみますと、みなさん恐らくこのエピソードに納得していただけることでしょう。
現在日本映画ナンバーワンの地位は本作と、小津安二郎監督の「東京物語」が二分している状況です。
すっかりこの作品の魅力に憑りつかれた僕は、黒澤監督の時代物を漁り始めました。 「用心棒」、「隠し砦の三悪人」、「赤ひげ」・・・。
どれもみな大変な完成度で僕はたちまち黒澤監督の虜になりました。
しかし当時僕は20代でこの頃はまだインターネットなんてありません。 今ならGoogleやYouTubeでいくらでも関連情報が得られるでしょうが、この時は本屋さんで映画関連の本から知識を得る以外、方法はありません。
僕は「日本映画の歴史」みたいな本数冊、あと黒澤監督の自伝「蝦蟇の油」を買い、夢中で読みふけりました。
興味がある、という動機の底知れぬ恐ろしさ。 試験勉強のような嫌々学習と違って、砂漠に水が吸い込まれるが如く、日本映画や黒澤監督の知識がドンドン頭に入っていきます。
黒澤監督の家族や人生、師事した監督、影響を受けた監督や作品など。 黒澤監督が感銘を受けた作品は僕も気になり、少しでも監督に近づきたい気持ちで僕も観たものです。
「素晴らしき哉、人生」や「スミス都へ行く」で有名なフランク・キャプラ監督は黒澤作品を介して出会った監督です。 黒澤作品と出会わなければ、名前すら知らずに終わったでしょう。
もちろんこの間も、未視聴の黒澤作品の新規開拓は止まりません。 結局、2年ほどの時間をかけて全作品を制覇しました。
黒澤作品は全部で30作品ありますが、そのすべてに感銘を受けたわけではありません。 「どですかでん」や「素晴らしき日曜日」みたいに、監督としては何か意欲的に試みたことがあったのでしょうが、残念ながら興行的に成功しているとは言い難いものも中にはあります。
まあ玉石混淆といえばそれまでですが、その「玉」があまりにとび抜けて素晴らしい完成度であるために、僕という一人の狂信者を生んでしまったわけですね。(笑)
教養の塊、黒澤明監督
黒澤作品には、原作が存在するものがあります。 「羅生門」は芥川龍之介の「藪の中」、「乱」はシェイクスピアの「リア王」、「白痴」はドストエフスキーの「白痴」などですが、これはつまり監督自身が並々ならぬ読書家であるということです。
実際、僕がシェイクスピアやドストエフスキーを読み始めたのも、黒澤映画がきっかけでした。
また黒澤監督はもともと画家志望であり、彼の映画の絵コンテなんかをテレビで観たことがありましたが、大変上手で驚いてしまいました。 結局、「絵で飯は食えない」と人から反対され断念したらしいですが。
その他にも、日本の古典芸能である能や西洋のクラシック音楽にも通じており、まさに「教養の塊」です。
彼の芸術作品はそんな彼のすべての教養が凝縮され、絶妙な配合でその頭脳から生み出されたものなのでしょう。