親の話すことに時々、はっとする時ってありませんか?
僕の親は正直、それほど学のある人間ではありません。 父親は農業高校出ですし、母親に至っては中学卒業止まりです。
にもかかわらず、時々非常に鋭い観察眼を垣間見せることがあって、僕を驚かせるのです。
それは時に人物評であり、時に処世術であり、またある時は人生訓であったりしますが、これらに共通するのは「教科書的ではない」ということです。
明らかに自己の人生経験に裏打ちされているんですね。 だからこそ聞き入る。
僕の親、本当に普段はどうでもいいようなバカ話しかしないんです。 なので僕も普段は適当に聞き流すのがデフォルトモードになっています。
「畑のなすびがたくさんとれた。」、「ねこが家に入ろうとして困る。」、「今日、何食べる?」なんていう、僕としてはどうでもいいような話題に生返事をしながら、まあ息子として最低の礼儀は尽くすわけです。
99%がこんな調子の中、いきなり「〇〇←僕の名前、俺は金持ちだって言いながら近づいて来る人間には気いつけないかんぞ。」なんて言われたらどうですか? 普段とのあまりのギャップに身構えますよね。
本当に何がきっかけでこんなことを言い出すのでしょうか? 皆さんにも同じ経験がおありかどうかは分かりませんが、僕は思わず親の顔を見てしまうのです。
もしかしたらもうすぐ死んでしまうのではないのか? いや、大丈夫。 まだピンピンしている。(笑)
ですが僕は今年47歳ですので親もそれなりの年齢です。 年齢的には正直、いつ天に召されてもおかしくはないといえます。
なので最近では、親のこういう何気ない言葉は出来るだけ心に刻み込もうと心掛けています。 ある種、遺言のような位置付けですね。
そこで色々聞いているうちに気付いて来ることがありました。 親は、というより年配の人って意外としたたかだということが分かるんです。
特に若い人は、僕もかつてはそうだったんですが、杖をついてノロノロ歩く老人なんかを舐めてバカにしたりします。
しかし彼らは身体能力が落ちてそうなっているだけで、心までがノロノロしているわけではありません。
むしろ、長生きしている分だけ「知恵」があるわけです。 実に人の細かいことまで観察している。 僕の親は自分なりの観察眼で見てきた人間たちを分析し、僕に遺言代わりに教えるわけです。
こういうことをする人間には気を付けた方が良い。 こういうことを言ってくる人間には下心がある。 全てが説得力に満ち溢れていて無駄がありません。
すぐに実地に応用できるハウツーが満載です。 普段バカ話しかしないためか、僕はもう内心では師に教えを乞う愛弟子の心境になりきっています。
僕はそれを心に刻み込む。 どうやら伝える側に回る機会はなさそうで少し寂しいですが。(笑)
親が子よりも先に死ぬのは世の摂理です。 なので「その日」までにどれだけ多くのことを聞いておけるか、が自分の使命の一つではないかと思います。