「自分は~については自信がある。」、「自分は~が大好きだ。」というのはかけがえのない大きな宝だと最近思えてきました。
なぜならこれらはその人にとってのある種の知識の塊を形作っているからです。
ある事柄について好きだ、ということはその人にとっては他の人よりも全ての点で有利な立場にいることになります。
まず、吸収力が全然違います。 同じ物事を覚えるにしても、いやいや覚えるのと興味があって自発的に覚えるのでは、その学習スピードは歴然としています。
これを否定する人はいないと思います。 私たちみんなが感覚的に理解できることですね。
そして、興味を持って得た知識は「蓄積」され、容易に忘れることがありません。 試験勉強の一夜漬け学習と決定的に違う点はここだと思います。
で、僕が知識に興味を持つことの効用で最大のものと思うのは、それが「他分野、他ジャンル」に広がるきっかけになりやすい、という点です。
例えば僕は一時期ビートルズにハマったことがありましたが、そのことによってローリングストーンズやクイーンの音楽にもある程度、造詣が深くなりました。
黒澤明監督の「乱」や「蜘蛛の巣城」は、僕をシェイクスピアの世界へ誘ってくれました。
テレビゲームだって決して侮れません。 Playstation2用のゲームに「SIREN」という著名なホラーゲームがありますが、僕はこの作品の世界観に非常な感銘を受けました。
その世界観のあまりの独自性に興味を持ち、僕はクリア後作者のプロフィールや制作の経緯等を調べました。
そこで分かったことは、作者の方は伊藤潤二さんの「サイレンの村」や小野不由美さんの「屍鬼」にインスパイアされてシナリオを書いていた、ということでした。
「屍鬼」は文庫版で8巻もある長編でしたが、さっそく購入して読んでみました。 ゲームの世界観とは違いましたが、作者の方がこの作品から登場人物のモデルを得ていたことは分かりました。 作品自体もなかなかの佳作です。
こうして僕の世界が広がったわけです。 強制された知識ではこうはいきません。
しかもこういう知識は決してお金で買うことができません。 映画通になろうと思ったら映画をコツコツ観るしか道はない。 音楽通になろうと思ったら音楽をコツコツ聴くしか道はない。 文化は五感でしか鍛えられないんです。
また知識は違った角度から作品にライトを当ててくれることもあります。
例えば、ショパンの名曲に「英雄ポロネーズ」というのがあります。 普段ピアノを聴かない人でも一度は耳にしたことがあるくらいの曲です。
何の前知識もなくいきなり聴いても素晴らしい作品ではありますが、これがショパン後期の作品で作品番号のついたものの中では、長調作品(明るい感じに聴こえる作品)はこれと「軍隊ポロネーズ」しかない、ということを知っていて聴くのでは聴こえ方が違ってくるかもしれません。
つまり、調理法ですね。 料理は色々な調理法を知っているほど、食生活を豊かにできる。 レシピはお金で買える。
映画、音楽、絵画、ゲームも料理と同じで人間の創作物です。 そこで興味を持って身に付けたことは一生、盗まれることのない自身の知識の宝です。 しかしこちらはお金では買えない。 積み上げるしかない。
僕の残り人生はあと30年。 まだまだ積み上げるものがありすぎて、多分やり切れませんが、やれるところまでは頑張ります。