グレン・グールドという名ピアニストがいました。 この人はもうすでに亡くなってしまいましたが、バッハの演奏で世界的に名前を知られた人です。
バッハという音楽家については、小中学校の音楽の授業で習うので知らない人はあまりいないでしょうし、クラシックに普段馴染みのない人でも彼の音楽がタイトルと結びつかないだけで、街中やテレビなどできっと耳にしているはずです。
さてこのバッハなのですが、この人は普段僕たちが好んで聴く音楽、夏に流れるサザンオールスターズ、クリスマスの山下達郎やアイドルのAKB48とは全然違った曲の作り方をしています。
実際にはバッハも100%そんな作品ばかりを作っていたわけではありませんし、現在活躍している作曲家も当然バッハの作品の偉大性については知っているわけですから、彼からの影響だってあるわけなのですが、ここでは話を単純にするためにそういうものはあえて無視します。
僕たちが普段聴く音楽は「和声法」という理論によって作曲された音楽です。 これは「コード」という和音の塊を連続的につなぎ合わせて、その上にメロディーラインを乗せていくというものです。
分かりやすいですね。 内容が悲しい曲の場合はマイナーコード、つまり「暗い響きのする和音」をつなぎ合わせてメロディーを付ければそれっぽくなりますし、明るい作品の場合はメジャーコードを使って逆のことをやればいいのです。
一方バッハは「対位法」という方法で作品をこしらえています。 これは2個以上のメロディーラインが並行して絡まりあうように進行するもので、この形式で作曲された音楽のことを「フーガ」と呼びます。
「静かな湖畔の森の陰から~」で始まる有名な輪唱の曲がありますね。 あれは対位法の音楽ではないのですが、2個のメロディーラインがずれて並行していきます。 コードの上にメロディーが乗っているわけではなく、両方メロディーラインなのです。 フーガ(対位法の音楽)とは、このような仕組みで出来上がっている曲、ぐらいなイメージをもっていただければ大丈夫です。
さて、バッハはこのフーガの大家だったわけですね。 彼の作品目録を見ると「~とフーガ」というタイトルがやけに目に付くのはそのためです。 彼の後の時代の歴史的な大音楽家、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンなどは皆、それぞれフーガを書いていますが、全員がバッハの作品を意識し、崇拝し、目標としていたのです。 彼らが世を去った後でも、バッハのフーガは「対位法の最高峰」であり続けています。
誰が言ったかピアノにおけるショパンのように「凌駕し難い一つの規範」なのかも知れませんね。
そこで話は冒頭に出てきたグレン・グールドというピアニストについてです。 この人はバッハの鍵盤楽曲作品の多くをピアノで演奏し、レコーディングしています。 それらは現在でも普通に販売されていて、手軽に聴くことができます。
僕が彼の演奏を初めて聴いたのは大学時代だった記憶があります。 決して大袈裟ではなく、かなりの衝撃を受けました。 もちろん良い意味で。
プロのピアニストですから指の回り、テクニックが超一流であるのは当然です。 僕も色々なCDを購入して聴き込んできましたから、今更そんなことに驚くほどウブではありません。(笑)
僕が驚いたのは彼が演奏するメロディーラインが「和音にならない」ということです。 ピアノに限らずどんな楽器でも、複数の鍵盤、弦などを同時に鳴らせば、どうしても和音としての響きを持ってしまいます。
ところが彼が演奏するバッハは音が1音1音完全に分離して聞こえる。 一体どうやればこんな音が出せるのだろう? ジャケットを見る限り彼の風貌はどこにでもいそうな普通の西洋人、腕も普通に2本だし、指先の形も至って正常。(笑)
しかもCDを聴き込んでいくと気付くのですが、和音として響かせるべき箇所は和音として演奏するという芸の細かさ。
先ほども述べた通り、バッハの曲は複数の旋律が絡まりあうような構造をしています。 そしてこのグレン・グールドというピアニストは各音を自由自在に独立して響かせる稀有の能力の持ち主。
そんな能力の持ち主がバッハに手を出してしまえば、もう完全な独占市場になってしまいます。 聴く側にとっても彼の演奏は「新鮮」であり、「非常に心地が良」く、なおかつ彼と類似の能力を持った才能が今のところ出現していないので、彼の演奏への需要はしばらく尽きることはないでしょう。
そういえば映画「羊たちの沈黙」でレクター博士が聴いていたのも、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」ではなかったでしょうか?
バッハですか。ゴルトベルクはグールドしか選択肢がなく、もはやグールドの作品として聴くよりほかなかった。
♪ターンターンタラリーラリーララリラー!リラリーラリロリラリロリラリルレロリラー!ラーリラリーラリーララリーラー!ララリラ、ラリロリラリロリ、ロラーラ、リロレロリー!