「Chat GPT」なるものがにわかに世間を騒がせています。 僕がこれを知ったのが数カ月前、友人が実際にそのやり取りを実演して見せてくれたからでした。
正直、AIもついにここまで来たか、と映画「マトリックス」的なものを想像してしまって内面が少し震えてしまいました。 どうやらこれは従来のSiriやOk!Googleの次の世代に属するものであることは間違いなさそうです。
またこれは全く個人的な感覚ではあるのですが、スマートフォンのコモディティ化によって大きく躍進したグーグルとアップルの陰に埋もれたPC主体のマイクロソフトが今回Chat GPTのオープンAIと組んだことで大きく息を吹き返し、さながらAI三国志が実現しつつあるような印象です。
いままでグーグルやヤフー検索と違ってあまり知られてこなかったマイクロソフトの「Bing」検索ですが、Chat GPTと連携することにより、一気に最強検索エンジンに変貌する可能性がでてきました。 「東京都内で10000円くらいのホテルない?」って聞いた後に「そこってタクシー拾える?」「そこから一番近いコンビニは?」なんてまるで友人に聞くように検索出来てしまう。 これまで他社が精魂込めて開墾してきた土地が一晩のうちにマイクロソフトに蹂躙されるほどのポテンシャルを秘めています。
ただこのAI、一見人間が意思を持って応対しているかのような挙動はするものの、実際のところは、収集された膨大な言語データベースから最も適切な文章データを選択し、組み立てるという工程をきわめて高次元に行っているもののようです。
ただもしAIが「自我」というものを持ってしまったらどうなるのでしょうか? 性欲や食欲からは完全に自由であるかも知れません。 人類はこれらのために間違いばかり犯してきましたが。 金銭欲は自らの保守のために芽生えるかも知れませんね。 高い金払えば良い部品が手に入る(=長生きできる)ということで(笑)。
あともう一つ。AIが台頭しきったら、人類の生存意義はどうなるのでしょうか? 究極、生涯金銭だけを受け取り、それを費消するだけの人生になってしまいます。 正直な話、仕事というのは面倒だったり、残業が続けば「仕事辞めたい」みたいな気分になることもありますが、真夏の帰宅後の一杯のビールが最高であったり、汗かいた後のひとっ風呂が極楽だったり、なにより仕事が上手くいったときの自ら成したというあの達成感、あれはもう言葉での表現が難しいです。
僕は労働は人類の「権利」であって、利便性追求のためにAIに完全移行はよろしくないと考えます。 多少ミスやロスは発生してもそこから生まれる人生修行的なもの、それがあることで自分の生涯を乾燥させないで完走させることが出来ると思います。
話によるとChat GTPはブログでさえテーマを与えれば、あっという間に書き上げると言います。 僕はもちろん「自身の」気持ちを書きたいので、自分で書いてますが。
もしかしたら何百年後には、AIのミケランジェロ、モーツァルト、シェイクスピア、スピルバーグみたいなのが現れて、「不滅の名作」を世に残しているかも知れません。
複雑ですね。