今年から始まった新NISA制度、テレビのニュースでもやたらと特集が組まれたりして、官民挙げて我々庶民を鼓舞しているように見えます。 にもかかわらず、実際のところ利用率はあまり高くない印象を受けます。
これにはそもそも投資に回す資金がないという切実な理由もあるでしょうし、日本文化には何となく貯金を是とし、投資を非と捉えるような空気がいまだ根強いのもその根拠のひとつであると思います。
早い話、国としてはもう年金が限界にきているから、あとはあんたたちが自助努力して老後なんとかしてくれよ、そのための器(新NISA)は整えるからさ、と言いたがっているように僕には思えるのです。 ただこの本音をそのままぶつけてしまっては選挙では大敗必至、ここは日本だからまああり得ないでしょうが、国によってはクーデターが起きても不思議ではありません。
なのでせいぜい今回のようにマスコミとタッグを組んで「新NISA」を大いに宣伝するというのが、国としてやれるぎりぎりのラインではないかと思えるのです。
にもかかわらずここまで「新NISA」を大々的に売り込んでおきながら、僕が単にそう感じただけなのかもしれませんが、知られると都合の悪い情報は意図的にスルー、あるいは目立たせないようにこっそりと流すのです。
新NISAは要するに株の儲けに税金がかからなくなる制度です。 国はこの点を最大のエサにして庶民を投資に導きます。 ですが設定を万全にしておかないと配当金に対して税金がかかるということを僕はぎりぎりで知り、ぼくは慌てて対処しました。
国といえども、情弱に対しては容赦なく牙をむいてくるのだなと認識を新たにし、少しでも稼げる隙のあるところはマスコミや企業と結託して操作してくるのだと、警戒感も持ち直しました。 制度を作る側には情弱は存在しないのだから、基本的に体制側は損をしません。
なぜなのかわかりませんがここら辺を書いていて、最近の自身のあるエピソードを思い出しました。
最近年を取ったせいか肛門が緩んできました。 ある晩吞みすぎて酔って寝てしまい、夜中に下着にやらかしてしまったのです。 幸いに下着、シーツを汚したくらいで済みましたが、そのおかげである疑問が氷解したのです。
僕が若いとき、よく泊りでススキノに呑みに行っていましたが、ビジネスホテルやサウナを利用していました。 すべてではないものの、トランクスが販売されていたり、クリーニングサービスがあるにも関わらずコインランドリーが設置されていたりするホテルがあり、当時はその存在意義が不明でした。
しかし自身のその経験がきっかけですべてが腑に落ちたのです。
なぜこの話が突然頭に浮かんだのか、今一度読み返してみてある共通点を発見しました。 それは「何も言わずともてめえで察しろ。」つまり「行間を読め。」という点で一致しているということです。
なるほど国の意図、他人との阿吽の呼吸、これはもう「察する」ということが必要なのですな。