音楽にしろ映画にしろ、人間の興味の数だけ、それも様々な趣向を凝らして無数に創られてきています。
もちろんこれ以外にも文学、アニメ、絵画、料理、ゲームなんかも皆文化と呼ばれていて、人間の精神生活を豊かにしています。
これらの中でも映画、音楽、絵画というものは絶え間なく無数に創られていますが、時間の風雪に耐え、歴史に残るのはごく一握りに過ぎません。
音楽ならば、ベートーヴェンやモーツァルト、ショパンやビートルズ、ローリングストーンズでしょうし、絵画ならダヴィンチやゴッホ、ピカソなんかの名前がすぐに出てくるのではないでしょうか。
では映画だったら何でしょうか? 教科書的な答えだと「アラビアのロレンス」や「禁じられた遊び」、「風と共に去りぬ」あたりになるのでしょうか。
でも教養を深めるために映画を観る、というのはスタンスとしてどうなんでしょうか。 もちろん動機なんて人それぞれなんですから、本人がそれで満足ならば、こちらがケチをつける筋合いはさらさらありません。
でもどうせだったら教養のために映画を観るよりも、なんとなく観ていたらドンドン引き込まれて、気が付いたらラストシーンだった、という方が精神的にも自然ですし、「もう一回観たい。」というモチベーションにも繋がりやすいでしょう。
そうして力まずに自然体で得た知識の方が、僕の経験上でも一番身になるのは確かです。
そうしたわけで僕は今日、一本の名作を堪能することができました。 1946年、フランクキャプラ監督の「素晴らしき哉、人生」です。
僕がこれを観た理由は二つです。 一つは黒澤明監督が尊敬している監督であったということ。 二つ目が「人生で観るべき映画」でググったら出てきたからです。
内容は至極明快! 主人公は不動産業を営む家の二人兄弟の長男として生まれます。 この主人公の父親が町の人に非常に優しい人でして、愛されているわけです。
しかしこの町にはもう一人、同業者がいるのですが、そちらの方はいわゆる守銭奴みたいな人で、事あるごとに主人公の父親と反目するわけです。 町の人にも嫌われています。
幼少時からこの主人公は非常にクレバーな人で、ゆくゆくはヨーロッパの大学へ行き、世界中で建築の仕事をする夢を持っていました。
ところがちょうどヨーロッパに旅立つその時、父親が急逝してしまいます。 主人公は仕方なく大学を諦め、代わりに弟に留学させます。
自分がひとまず父親の後を継ぎ、弟の留学が終わったら自分と交代するという予定でした。
しかしこの弟、留学から帰るとお嫁さんも連れてきました。 しかもその結婚の条件が「嫁の実家の仕事を手伝う」というものです。
主人公の自由はまたしても奪われました。 それだけではありません。 ちょうどこの頃、主人公も奥さんをもらいますが新婚旅行の途上、主人公の会社が倒産の危機に瀕している場に遭遇してしまいます。
せっかくの新婚旅行の資金も会社の運転資金になってしまい、旅行も中止になってしまいます。 主人公はもう町から一歩も出ることができません。
その間にも、彼の身内や友人たちは世界中でどんどん活躍していきます。 主人公のイライラもMAXになっていきます。
そんな中、とどめの一撃が彼を襲います。 彼の叔父さんが店のお金を紛失してしまうのです。 お金を見つけないと帳簿が合わずに主人公は逮捕されてしまいます。
主人公は途方に暮れ、「神に祈り」、ついには川に身を投げてしまいます。
ここが、この映画の白眉なのですがなんとこの主人公の「祈り」が守護天使の耳に届くのです。 何とも粋な演出ですね。
主人公は当然ながらこの時点では「やけくそ」になっており、自分なんてそもそも生まれてこなければ、と嘆きます。
「だったら、君のいない世界を見せてやる。」と天使は言います。
そこは主人公にとって荒れ果てた世界でした。 彼の弟は幼くして世を去っていて、借家人達も例の守銭奴に搾取され、身なりがボロボロです。 挙句の果てには奥さんも独身で、主人公のことなんて全然知らない様子。
憔悴しきった主人公は叫びます。「神よ!どうか戻してくれないか。」
ふと周りを見ると、街の雰囲気が変わっていることに気付く主人公。 何もかもが元通りになっています。
彼は急いでうちへ帰り、妻子を思いっきり抱きしめます。 主人公はここで気付くんです。 幸不幸なんて所詮、主観に過ぎないんだと。
自分が存在して、それで助けられた人々がいたということも。 お金の問題も結局「町の人たちの寄付」という形であっさりと解決してしまいます。
本当に観ていてスカッとする、まさに「素晴らしき哉、人生」という以外にタイトルのつけようがない一本です。
個人的な話になりますが、僕は3年前に脳出血を患ってしまい、その影響で車の運転が制限されています。
なので休みの日は、どうしても映画を観たり、ゲームをしたりという過ごし方になりがちです。
ですが、こういう環境をどうとらえるかは僕の気持ち一つなんだということを今日、この作品から学びました。
もしかしたら僕の「守護天使」は内面を磨け!と言いたいのかもしれませんね。