先日、ソイレントグリーンという映画を観る機会がありました。 恥ずかしながら観るまでこの作品の存在自体を知りませんでしたが、色々考えさせられる映画だったので、少々感じたことを吐露してみようと思います。
この映画は1973年に世に出されていますが、作品の舞台となっている時代は2022年、つまり今から4年後の話となっています。 この作品がこの時期にBSで上映されたのは、時代設定的にタイムリーというのも理由の一つだったのかもしれません。
この映画はアメリカのニューヨークで繰り広げられるサスペンスになっていますが、実に幸運なことに現在のこの世界は、映画で予想された2010年代、2020年代とはかなり違うものになってくれました。
そういう意味ではキューブリックの「2001年宇宙の旅」やゼメキスの「バックトゥザフューチャー」で彼らが当時予想した未来も、結局はその通りにはならなかったのですから同じなのですが。
この映画が予想した2022年の世界は暗澹たるものでした。 ニューヨークの人口は爆発し、多くの人々が職にあぶれています。
特に問題なのが、「食べるものがない」ということでした。 地球は極度の温暖化現象に悩まされているらしく、外は常に炎天下の暑さです。
「涼しさ」や「寒さ」といった贅沢品は、ごく一部の富裕層が自身の住居でしか体験できないものと化していました。 当然こういう状況ですので、動植物はおろか、海中プランクトンさえほぼ絶滅の危機に瀕しているのです。
なので食べるものがないのですね。 一般市民は週一回、市から配給される「ソイレントグリーン」と呼ばれる緑色の板状のものを食べて暮らしています。 市の公式発表では、この食品の原料は大豆と謳っていますが・・・・・。
一方、一握りの富豪たちは法外な金にモノを言わせて、地下市場でわずかな果物や穀物、肉類、酒を手に入れています。 この映画の世界設定はこういう感じになっています。
映画の中の世界では、年配者は食料品が普通に手に入っていた時代を経験している。 だが若い人は見たことすらない、調理法も知らないという状況。 だから目の前に果物があっても「かぶりついて食べる」ということが分からないのです。
また老人は60歳を迎えると「ホーム」と呼ばれる施設に赴き、最期に自身の望む映像、音楽を20分感与えられて、それを味わいながらゆっくりと安楽死していくわけです。
この映画の主人公がある時、ひょんなことからこのホームを覗く機会が訪れます。 作品のネタバレになるので詳細は避けますが、ちょうどある老人の安楽死の儀式の最中でした。
スクリーンには、昔の大自然豊かな地球の風景が次から次へと映し出されていました。 それを見た主人公は思わず「美しい。本当だったんだ。」と言います。 老人は静かに「昔はこうだったんだ。」と答えます。
現在、2018年で映画の舞台の年まであと4年ですが、幸いなことに2022年にはここまで悲惨な世界にならずには済みそうです。 しかし地球規模では人口は増大しており、このままいけば食糧危機は免れないのは必至ですので、近い将来こうした世界がやって来ないとは言い切れないでしょう。
と、作品の舞台設定をメインに解説しましたが、主軸はあくまである殺人事件に端を発したサスペンス映画です。 「ソイレントグリーン」を製造する会社の幹部が「機密保持という点で信用に欠ける」という理由で消されるわけです。
色々な意味で内容的に詰まった作品ですので、まだご覧になっていない方は是非、損はしないと思います。
食料品がほとんどとれない世界で、なぜかソイレントグリーンという謎の食品だけは豊富にある。 それを作る会社の幹部がある日、消される。 組織は何が露呈するのを恐れるのか・・・・・・?