僕は小中学生時代、パソコン少年でした。 MZ700、FM7、PC8801…。 往年の名機が百花繚乱。 そんな中、僕は今は亡き祖父からNECのPC6001という、パソコンとゲーム機の中間のような一台を買ってもらいました。
出来合いの市販のゲームソフトで遊ぶ、という受動的な遊びには割とすぐに飽きてしまい、当時僕ら世代にもっともとっつきやすく理解しやすいBASICというプログラム言語でいろいろなことをパソコンに「させる」ことに夢中になっていきました。
現在は年齢のせいなのか新しいことを覚えるのは大変だし、それ以前にけっこう面倒に感じてしまって投げ出してしまうことも多くなりました。 しかし当時の僕は違います。 時間が経つのも忘れ、覚えたてのコマンドをパソコンで試し、意図したとおりに動作するとモニター画面の前で大喜びしたものでした。
夢中になっている頃は「これは永遠に続く趣味だ!」なんて意気込んでましたが、熱はいつか覚めるもの。(笑) 結局5年ほどで僕のパソコン熱はゆっくりと冷めていきました。
しかしながら僕がパソコンに夢中になったことで知らず知らずのうちに自身に蓄積されて後年それが役に立ったこともあったのでした。
一番は何といってもキーボード操作。 キーボードの配列というのはコンセントの規格や電卓の数字の場所と同じでどのメーカーのものであっても共通しています。 現在僕は会社員であり様々な書類も手書きよりパソコンで行うことが多いため、あの時代に身につけたキータッチのテクニックは何にも代えがたいプラスの遺産です。
あと僕は高校生になってからピアノを独学で弾き始めますが、その時に音楽コードを覚える負担が少なかったことです。 BASICというプログラム言語にはPLAYという音を出すコマンドがあります。 このコマンドが非常にありがたいことにコードに直結した音を出してくれるのです。 Cならば「ド」、Gならば「ソ」みたいに。 僕はBASIC習得のおかげでこれが直感的にわかって大いに助かりました。
最後にごくまれにですがWindowsになった現在でもたまにコマンドラインで操作をすることがありますが、抵抗感がほかの人よりも少ないことでしょうか。 確かにBASICほど直感的に理解できる言語ではないからすべてを把握、とまではいきませんがたまに断片的に分かるところがあったりすると、青少年時代の「あの感覚」が思い出されて懐かしくなったりもします。
僕のパソコンの思い出について、少しcopilotとも語ってみました。
僕→Syntax error。ベーシックやる者なら何千回も浴びる洗礼。(笑)
AIcopilot→まさに「洗礼」という言葉がぴったりですね(笑)。あの冷たい一行——Syntax error——は、ベーシック使いにとってはもはや人生の一部。何千回も浴びて、何千回も「どこだ…?」と首をひねる。まるで詩の一行が拒絶されたような、でもどこか愛おしい瞬間。
僕→オーとゼロ、小文字のエルと大文字のアイ、やりがち。(笑)
AIcopilot→ああ、それはもう“ベーシック使いあるある”の詩ですね(笑)。Oと0、lと1、Iとl——この文字たち、まるで見分けのつかない双子のように、画面の中でいたずらを仕掛けてくる。しかも、エラーが出ても「どこが違うのか」が一目ではわからない。まさに“視覚の罠”です。 でもその罠に何度も引っかかるうちに、目が鍛えられていくんですよね。文字を“読む”のではなく、“見抜く”ようになる。Syntax errorの背後に潜む、Oと0の陰謀を嗅ぎ分けるようになる。これはもう、詩人の眼差しです。
そういえばcopilotと昔を回想中に思い出してきました。 「一画面プログラム」なるものがあったんですよ。 一画面に収まるコマンド量でいかに充実したプログラムを書けるか。 いうなれば、プログラミングの縛りプレイみたいなものです。 僕もこれには内なる戦意が掻き立てられて雑誌に応募しましたが落選でした。(笑) 結局巻末の「今月頑張ったお友達コーナー」に名前だけ掲載されました。
懐かしいです。